多木久米次郎 略歴
安政6年 (1859年) |
5月28日 加古川市別府町に生まれる。 生家は代々醤油、魚肥などを商っていた。 |
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明治9年 (1876年) |
四国巡礼の一団に同行。別人のようになって帰ってきたと言われる。 |
明治13年 (1880年) |
父の逝去により当主となる。 元農商務省官僚の前田正名の影響を受け、安価で良質な肥料の製造を目指した。 |
明治18年 (1885年) |
日本初の人造肥料として骨粉の製造を開始した。 |
明治31年 (1898年) |
燐砿石を原料とする過燐酸石灰の製造を開始した。 |
明治41年 (1908年) |
村議、県議を経て衆議院議員に当選。 |
明治42年 (1909年) |
渋沢栄一が団長の「渡米実業団」に参加し、製肥工場や農場を視察した。 |
大正6年頃 (1917年) |
朝鮮開発にも関心を示し、土地改良事業、農場経営に力を注いだ。 |
大正7年 (1918年) |
株式会社多木製肥所を設立。 |
大正10年 (1921年) |
肥料製品を積み出すための鉄道として、別府軽便鉄道(その後別府鉄道に社名変更)を開業する。 |
昭和14年 (1939年) |
衆議院議員を6期務め、貴族院議員になる。 |
昭和15年 (1940年) |
久米次郎の寄付を元に、朝鮮で裡里公立工業学校が開校する。 財団法人多木文化振興会を発足させ、学校等に奨励金や苗木の寄付、功労者の顕彰を行った。 |
昭和17年 (1942年) |
3月15日 逝去(享年84歳) |