聖徳閣

提供:加古川市
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多木浜洋館から車で20分ほどの日岡山に、多木久米次郎が昭和11年(1936年)に聖徳閣という展望台を建てました。

聖徳閣 概要

・昭和10年(1935年)10月起工、翌昭和11年(1936年)7月完成
・山頂を床面とし、直径2m余りの鉄筋コンクリートの円柱の入母屋造平屋
・周囲は回廊式で、間口15m、奥行37m、高さ4m
・天井はストレート張り、屋根瓦は普通品の4倍半の特製品
・懸魚(げぎょ)は全て銅板張り
・総工費は当時の金額で約4万円

 日岡山は第12代景行天皇の皇后である稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)の日岡御陵があり、その第二皇子の日本武尊が日岡山の近くの美乃利村で誕生したと伝えられ、皇室とゆかりがあると言われている土地です。明治36年(1903年)と大正8年(1919年)に陸軍の大演習がこの地方で挙行され、その都度この丘が御野立所となり天皇陛下が統監されました。そして、大正8年(1919年)の秋の陸軍特別大演習のとき、11月11日に久米次郎の娘婿である三良(多木化学株式会社2代目社長・さぶろう)が御野立所に参じて、「東播平野と皇室の関係」と題した御前講演を行いました。また天皇陛下がこの地にいらっしゃる際に対応できるよう、展望台を建てることになりました。建設開始当時、日岡山は日岡神社の所有でしたが、時の氷丘村長らの斡旋により敷地を借り受け、建物完成後は地元氷丘村に寄付する予定でした。
 しかし、工事途中から「御陵の間近いところに、これを見おろす建物は不敬である」との意見も出てきたので、建物の寄付採納をためらう人も出てきました。そのため、授受が行きなやんでいました。そのような状況で日中戦争が勃発し、付近に尾上陸軍飛行場等の陸軍の重要施設が次々と建設されたため、防諜の観点から聖徳閣に登ることが禁止され、軍の防空監視所がおかれたまま終戦を迎えました。
 昭和25年(1950年)6月12日、多木三良が久米次郎の遺志を継ぎ、加古川に市制が施行されるのを機会に、建物補修経費の金1万円を添えて加古川町に寄付しました。それから展望台として一般市民に公開されました。天気が良ければ六甲摩耶の山々や淡路島が眺望でき、暑い日でも涼やかな風が吹き込むため、市民の皆さまにも愛されていました。
 その後老朽化に伴い維持費が嵩むことなどから、天井から上の部分を取り除き、昭和43年(1968年)現在の展望台になりました。

現在の展望台からの眺め
現在の展望台からの眺め
現在の展望台からの眺め