- 完成まで
- 大正7年(1918年)頃より和風建物(現農園)の西側を整地し、吉川豊吉氏(神戸市)により基礎工事が完了しました。続いて藤原岩太郎氏(播磨町)により軸組、外壁、屋根などの主要部分を建設し終えたのが大正13年(1924年)です。
しばらくは工事は中断されていましたが、昭和初期に再開され、 西村貿易店(京都市)によって内装工事が完成したのは昭和8年(1933年)頃で、設計者は不明です。
- 概要
- 木造4階建、基礎腰煉瓦造、屋根銅板葺、外壁銅板貼、建築面積 延902㎡
1階・・・玄関、ホール、大広間、配膳室、物置
2階・・・鏡の間、客室、図書室、寝室、浴室
3階・・・ホール、客室、和室、ボールルーム
4階・・・展望室(御真影奉安所)
この建物で一見に価するものは、内装の豪華さです。玄関には大理石を敷き詰め、繰り型や彫刻、ステンドグラス(ティファニー製と言われている)で壁面を装飾しています。150㎡の大広間は、桃山風の格天井に極彩色の彫刻をはめこみ、
柱はマホガニーやチーク材が使われ、また、壁面クロスは西陣織り別注です。
2階の客室は折上格天井になっており、漆塗りの朱色で彩られ、「鏡の間」と呼ばれています。
新築当時の洋館からは別府港、多木製肥所(当時)分工場を眼下に見下ろし、遠くには播磨灘の家島群島・淡路島を望んでいました。四囲の眺望は絶佳であったでしょう。
- 補修等
- 平成14年(2002年)5月17日
国の登録文化財として選定されました。かつて敷地の東側に立っていたレンガ倉庫の門扉を移設し、モニュメントに加工しました。
平成15年(2003年)6月
銅板屋根を葺き替え。
古い銅板を利用して門扉の補修、海賊船を製作しました。
平成22年(2010年)8月
1階の窓、及び2階・3階の客室を修復。
復元の設計はアトリエサンク 岡本章氏。
施工は㈱竹田工務店 竹田淳一氏。
平成24年(2012年)年8月
㈱龍村美術織物と㈱竹田工務店により、1階大広間の壁面クロスを復元。
- 展示品
- 1階大広間
「夾竹桃ある家」 姫路出身の画家 飯田勇 作(大正13年第5回帝展入選作)
「硫安工場の秋」 梶悦次 作(日展出品作品)
2階ロビー
等身大の木彫「護り」 大野明山 昭和12年の作
(須佐之男命が稲田姫を護っている。昭和13年日展入選作品)
玄関横の不動明王は、鎌倉末期の作と言われていますが、定かではありません。
- 評価
- 平成7年(1995年)来館された東京大学教授 藤森照信先生の検証によると、
「・・歴史的なスタイル別にチューダーとかスパニッシュに分けてもいいし、材料別に赤煉瓦造り とか木造土壁造り、或いは時期ごとに明治風とか昭和初期とか、あるいは種類別
に住宅とか倉庫とか。しかし、この建物は これまでのどんな類にも入らない孤立 した姿をしている。あかがね御殿と呼ばれる邸宅は、全国各地にあるが、いずれも屋根を銅板で葺いただけで、このように全身をスッポリと銅板で包む例があろうとは、考えもしなかった。これこそ、正真正銘の全身あかがね御殿。
今後、屋根だけのものは、半身あかがね御殿とでも呼ぶようにしよう・・・」と建物の特異性について述べておられます。
内装についても「和洋折衷が積極的に用いられ、1階の大広間の天井は見事で、日光東照宮的に飾られている。細部の精度やバランスや全体の統一感にはあまりこだわらず、大胆不敵に大掛かりに見せる点が特徴で、玄関ホールの3階ぶち抜きの大空間も、この特徴をよくしめしている」と、肥料王と呼ばれた多木久米次郎の心意気を理解されている。